転勤族だった私は、何処に立っても山と川の望める風光明媚な町(金沢)での暮らしの中で、新聞の投稿が始まりました。徒然は私の宝物です。花の画像は庭の花です。
by violasan


2005年 02月 19日 ( 3 )

お座敷太鼓

平成12年6月29日北国新聞掲載

お座敷太鼓                
 「ドンドン、ツクツク、ドンドン」と、いつもと違うお座敷太鼓の音色が、西茶屋街のお稽古場に鳴り響いた。芸能体験学習会に参加した時の一こまだ。ベテラン芸子さんの手ほどきを受けの初めてのバチさばきだ。とても心地よいバチさばきといえないけれど、楽しかった。
 細い格子窓の家から、三味線や太鼓の音が漏れてくる風情を肌で感じたかった。お座敷に上がるのは、「一見さんお断り」と聞いて諦めていたところ、「お稽古風景見学」の催事を知り参加した。
 素囃子、舞、お座敷太鼓と披露された。ベテラン芸子さんのなかには、新米芸子さんの姿もあり、時々照れ笑いを見せながら、真剣に演じる姿は真剣だ。
 帰り、「華の宿」に立ち寄った。格子戸を入ると、巾のある階段が目に付いた。殿方と芸子さんが寄り添ってお座敷に上がるために巾が広いらしい。朱色、瑠璃色の壁は艶っぽい。この部屋でお座敷遊びしたに違いない。新米芸子さんも、この部屋で磨かれていく。
 この日、金沢でまち博が始まった。町にはクラッシックなバスの運行が開始された。その姿は町に溶け込んでいる。加賀百万石の伝統を町中に運んで欲しい物だ。
[PR]
by violasan | 2005-02-19 18:34 | 金沢

70歳を過ぎて調理師免許取得

平成9年9月14日北国新聞掲載 

70歳すぎて調理師免許
70歳になる母は、昨年、調理師免許を独学で得た。愛知県で最高年齢の受験者であり合格者であった。
 母は、父を看取った後、ボケ防止にと大好きな和服の世界に飛び込んだ。初めての職場に戸惑いを感じて、退職後、寿司屋のまかないさんに転職した。幸い、店長の人柄の良さに恵まれ4年の年月が流れた。そして、若い店員との出会いが、調理師の免許を得るきっかけとなった。
 若い店員は専門学校で学んだ後受験したが、母は、その店員に学習書を借り独学で試験に臨んだ。学習書を読みこなすことは、老眼鏡の手放せない母にとって至難の業であった。当日、緊張は隠せずハプニングもあり結果はあきらめていたという。
 母は、70歳の年齢で一冊の学習書を読みこなして受験した経験に老後の生きがいを見つけたという。
 まだまだ、母の年齢までには年月のある私も、母のように何歳になっても学ぶ意欲を失うことのない素晴らしい老人となりたいと思う。
[PR]
by violasan | 2005-02-19 17:19 | 家族

永遠の旅立ち

平成8年10月16日北国新聞掲載

去る日、これからという若い命が交通事故により絶たれてしまった。意識不明の
まま帰らぬ人となった。あまりにもあっけない出来事であった。
 彼を知ったのは四年前、金沢マンドリンアンサンブルのステージで彼の指揮を
見たのがきっかけ。
あまりにもユニークな指揮にひかれ、私もアンサンブルに加わり、識者と演奏者の
立場で三年が過ぎた。
今年に入り、話す機会も増え、彼自身の信念をアンサンブルにぶつけている姿と、
音楽に対する熱意が、あのユニークな指揮を生み出していると理解出来た。
本番の彼のユニークな指揮は、観客の笑いを絶えさせなかったし、演奏者の緊張を
ほぐしてくれた。一ヶ月後の本番をひかえた練習日、練習不足を彼自身のダミ声
で補っていた。そのダミ声が、耳元を離れない。
 ご両親の希望で、演奏の中彼とのお別れをする事になった。たまたま、私は彼の
愛用していた楽器を借用中。
 「僕のマンドラ弾いてみない」という彼の一言で、私とマンドラの出会いが始まった。
遠い所へ旅立ってしまった彼の耳に届くようにマンドラの音色を奏でたい。

c0051044_17102717.jpg

[PR]
by violasan | 2005-02-19 17:11 | 趣味と仲間