転勤族だった私は、何処に立っても山と川の望める風光明媚な町(金沢)での暮らしの中で、新聞の投稿が始まりました。徒然は私の宝物です。花の画像は庭の花です。
by violasan
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2005年 02月 10日 ( 4 )

2002年4月15日


(ヴィオラのHPでのウエブ日記の始まりです。新居での暮らし~)


やっと、たどりつきました。

随分、春らしくなってきました。多治見にマイホームを持ち、もう一年たってしまった。
去年今頃は、耕しても耕してもミミズ一匹いない荒地だった。全く、開拓難民状態の暮らしで、日々、鍬を持ち汗水流したかいあり、今年に入り数匹のミミズのあかちゃんと対面できて嬉しい!
もう一つ嬉しいこと、今日、ここに書き込みできたことだ。

日々のたわいない独り言を書き留めていきたいと思います。



violaの部屋
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by violasan | 2005-02-10 23:08 | 我町

金沢最後のコンサート

最期のコンサート
ダブルベット(?)のなかで、ふつふつと、、、、
とうとう、運命の日が!一年間の迷えるミセスを断ち切るこの日がきてしまった。
なんとおおげさなこととをと言わずに無駄口にお付き合いください。日記が途切れそうなので、またかいてしまいました。これで、最後です。
思い出せば、去年の本番直前風邪でダウンしていた。気力で参加した演奏会だった。練習の成果を出し切ることができなかったので心残りの演奏会だったけれど、「最後です」と皆に断言して参加したので、お別れの挨拶もすませ記念すべき演奏会であり本気で最後にするつもりでいたんです。ところが、部内演奏会の話が持ち上がっていて、ニッシーさんのその気にさせる魔力にかかり、迷えるミセスは、ノコノコと参加することに。それも、チェロに初挑戦することになって!へ音記号読んだのって、何年ぶりかしら?そう、結婚してから三年ほど習ったエレクトーンの楽譜以来のことだ。楽譜は読めたもののマンドリン、マンドラと練習してきた私にはチェロの弦の音に変換(?)するのが至難の業でした。変な音が聞こえてくると思うと、いつのまにかマンドリン、マンドラのフレットで弾いているんです。マンドリンオーケストラの中でオールマイティーに楽器変えて弾きこなしている方ってホンと神様です。マリオネットの練習も楽しかった。自分の音色を確認しながらの練習は充実してました。この時も積雪の災いと、アガリ症の悲劇がもろに出て散々でしたけれど、、、。
町の雪の消えるころ合演のお誘いが、、これもニッシーさん!彼女は、ホンとにお上手なんです。
迷えるミセスは引越を終えたものの日々の暮らしは、粘土質の庭土と格闘中!とても練習なんてという状況の中、迷える虫が大繁殖!力もないのに有志参加することになり(おじさん組の甘い汁を求めて)合奏に乗り遅れたので未消化に終わってしまった。この時ばかりは、自分の立場(多治見からは全ての練習に参加できない)の見極めず大暴れした迷える虫にむかついたのでした。
いろいろ訳ありで未消化に終わった演奏会を経験したのに、また同じ過ちを、、、

当日こんな訳で、ダブルベットの中でふつふつと思いが湧き出てきたのです。(話はそれますけれど、一人でダブルベットで寝るっていいものですよ)

会場にはいると、やはり観光会館ですよ。ロビーからホールに続く階段!なんだか、いい気分でした。扉を開けると、美しい調べが聴こえてくるではありませんか!今日はどちらのコンサート?一瞬戸惑うほどでした。音響効果のせいでしょうか?弦の雑音は消され心地良く音色が響いてきます。
座席の前列に進み、奏者のお顔ながめるとよく見る面々ではありませんか?早く入らした方が音だしをされていたのですね。まさしく、金沢マンドリンアンサンブルの定期演奏会でした。
私のメモリアルとなった演奏会、こんな素晴らしい会場で参加できるなんて夢の様!
この日を迎えるにあたっては、執行部のみなさん並々でない苦労をされたのでしょうね。本当にお疲れ様でした。
感激もつかのま、この広い会場が果たしてどのくらい埋まるのかしら?幕が上がった時ガラガラの座席だったら拍子抜けですものね。
1ステージが始まった。案の定、ガラガラの座席!なんてことだ!でも、そんな事考える余裕持ってこのステージが始まったのはいいことかもしれない。なんて思い例の三連符は「ごめんなさい」で、練習回数が少ない割には卒なく終わった。
2ステージの始まる頃には座席も埋まり出しいつもの演奏会らしくなって演奏者も熱が入ってきたようで、シャンソンは気持良く弾けたし、ビートルズは練習の時の重苦しさが消えて(あまり練習に参加してない私が生意気なこと言ってごめんなさい)リズムに乗れた感じがしたし、さすが、本番に強いKMEって実感した。
3ステージ、とうとう最後のステージ!今回一番楽しみにしていたステージです。難しい奏法がないの上ににいい気分になれる合奏曲だから!合唱団のみなさんに甘い汁を吸わせていただきました。有難うございました。

アンコールで、合唱の始まるとなんだか胸がジーンと熱くなりました。私だけだったのかな?

この日の演奏会も大盛会に終わりましたとさ!


(思い出のたくさん出来た金沢マンドリンアンサンブルのコンサートに、岐阜から押しかけました。 その日の事の思い出日記)
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by violasan | 2005-02-10 22:55 | 趣味と仲間

転居で強くなれた私



「せっかく、砂の上にお城を築いたのに・・・・」
と、ある町で出会えた友人が引越しの時残して転居した。
今も、冷静な彼女の言葉が私の心の中に残る。
 わが身も転勤族。幾度のとなく、夫の異動に伴い、北から南の町に子供たちと一緒に引越しをした。
風習も気候も違う町での暮らし。地方によっては、言葉も分からない町での暮らしだ。
やっと、築いたお城が、いつ、波に押し流されるかもしれないという不安が心の奥底に見え隠れした日々・・・
荷造りと生活と子供たちの学校の手続きやお世話になった方のお別れに無我夢中の2週間と荷送りを終えた夜、床の中で新しい町への期待と不安が押寄せた。

 積雪を知らない町で育った私が、北陸の町で襲われた五六豪雪という白魔。アイスバーンの上を恐る恐る歩いてやっと着いたストアには、積雪で入荷の無い状態だった。
屋根の雪下ろしのために、何人もの方が屋根からすべり落ち亡くなられたというニュースには、心を痛めた。
 九州で暮らしていた時、父の訃報が届いた。里とは遠く病に伏せる父のもとへは顔を見せなかった。お見送りもできなかった状況に泣いた。
 子供たちも転校の度に辛い思いがあったと思う。公立でさえ、教育内容や始業日が違うのには途惑った。
転居に伴う辛さの数をあげれば、きりがない。
人との関係は、一番の不安材料となった。


 それでも、たくさんの出会いがあった。
転居先では、心地良く過ごしたいという気持が、いろいろな情報を自ら得るために、いろいろな場に足を運んだ。そんな場では、その土地の風情が育んだ温かい心の友達と出会いがあった。

 せっかく築いたお城が流された分、私は強くなれた
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by violasan | 2005-02-10 10:15

団地のポスト


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突然、団地のポストが撤去された。
ポストがなくなるなんて予想もしなかった。
最近は、パソコンや携帯メールなどで、連絡ができるようになったためか、手紙離れの傾向のあるという。
ひと昔前のように、ポストの需要がなくなったのであろうか?
今は、こうしてメールに依存する私だが、以前は私も手紙魔だった。
よく言う筆まめというもの。書くのも好きだが、ポストにコトンと落ちる手紙の音がたまらなく好きだ。
封書こそ数少なくなったけれど、絵手紙や心込められた手書きの葉書を受け取る時の嬉しさはひとしお。封書であればこの上ない喜びを感じる!
ポストのない町で育った子供たちが手紙好きになるとは思えない。
将来、幼い子供が背伸びしてポストにいれる光景は見られなくなってしまう。
お年寄りの中には、近くにポストがあればこそ、手紙を出すことを楽しみにしている方も多いと聞く。これが、歩道橋の階段を渡り往復一時間近く歩かなければならないときたら、自分の足で投函しにいくことは困難だと思う。
お年寄りの小さな楽しみどころか健康まで奪うことになってしまう。
我が町はバス代が高い。おまけにバス亭までが遠い。
年寄りでなくても、ちょっと、郵便局までというわけにはいかない。
この先、ますますITは進む。市絡みのIT指導は高齢者にその技と楽しさを導く。
けれど、ますます、郵便離れはエスカレートしていくことだろう。

数日後、回覧がまわった。
「ポスト撤去について」の説明文だ。いままでは、個人の敷地内に好意で設置させていただいていた。このたび、敷地所有者がポストのあった場所を利用するとかで、撤去することに・・・・
順番が逆じゃないかと思う!
事情があるなら、この旨をポストに貼っておくべきじゃなかったかと・・・




しばらくたって、100メートルくらい離れた場所に簡易ポストが設置されました。収集が朝一度しかないのは困るけれど~まあ、でも今はメールという手があるし。コレだから手紙離れが進むのじぁやないかな。そういう私もその一人(^^ゞ
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by violasan | 2005-02-10 10:06 | 我町