転勤族だった私は、何処に立っても山と川の望める風光明媚な町(金沢)での暮らしの中で、新聞の投稿が始まりました。徒然は私の宝物です。花の画像は庭の花です。
by violasan


2005年 02月 09日 ( 3 )

フキノトウ

平成15年2月26日朝日新聞掲載

山里の食材が宅配で届いた。                               
宅配される有機栽培の野菜が入ったダンボールの中にフキノトウを見つけた。山里にはまだ雪が積もっていると思う。それでも、フキノトウは雪の中からひょっこり顔を出しているんだろうね。なんだか、心はウキウキと春を感じる。
 今夜のメニューはフキノトウの天ぷらに決まり。それでも、一品では寂しいので、にんじんときのこを揚げることにした。昨日買ったサバは味噌煮にする。
 娘と二人きりの食事。いくら、食べる事が好きな私でも、なかなか旬の食材を買うことはない。
 年々、核家族が進み、行事の簡素化される一方、栽培技術の進歩や輸入増加で、どんな野菜や果物でも年中手に入れられる。とても便利になった反面、食べ物から季節感を感じ取れなくなった。
 日本には、一年を通じて多くの行事があり、それを祝うさまざまな料理を彩るのが旬の食材だ。
 ともすれば、忘れてしまいそうな旬の野菜は、我が家の場合、宅配で届く。

(このコメントは現在の暮らしになってから書いたものです)
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by violasan | 2005-02-09 10:40 | 我町

家事

家事には終わりがない。
毎日、掃除、洗濯、炊事と同じことの繰り返し!
といっても、この頃の私ときたら、出かける事が多く、全部こなすのはままならない。
ついつい、溜め込んだことを棚にあげ、
「この間、かたずけたばかりなのに、こんなになって・・・」
とため息をつくことが多い。

友人の中に、いつ、お邪魔しても、モデルハウスのように綺麗なお家がある。
我が家の場合は、夕飯どきなんて、特に、台所や食卓まわりは悲惨だ。
子供たちに手がかかるころなんて、後始末は二の次!まず、食事。
そんな時に、
「ピンポーン」
と、インターホンの音でもしたらと思うとヒヤヒヤだ。
彼女の家は違う。
いつ行っても、「どうぞ、上がっていかない?」
と、お声がかかる。
同じマンション内だったこと、夫の帰宅が遅かったので、つい長居しておしゃべりにはずんだ。

時間が時間だけに、彼女は夕食の支度中。それなのに、台所はピカピカだ。
手順を見ていると、一つ作業が終わるごとに、入らないものは全て直す。すぐ拭くの繰り返し。
私なんか、最後にまとめて洗ったほうが効率いいと信じ、なんでも後回し。これが、違うんですね。

この頃の主婦業の手順の悪さに反省の日々に、ふと、かつての光景を垣間見た。
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by violasan | 2005-02-09 10:37

禁じられた遊び場


 故郷の家(現在は転居)の近くには、堀川が流れている。 
 堀川は、1610年徳川家康が名古屋城築城のおりに、福島正則に命じて開削させた運河である。当時、両岸は米倉や土蔵が軒を連ねて城下町として栄ていた。中流にある日置橋の両岸には、桃と桜の木が植えられて、お花見船が行き交ったそうである。
 ところが、戦後の急速な発達により、川はよどんでしまった。どぶ川のようになり悪臭さえ放った。
 やがて、材木商だけが、水路として利用するようになった。
 
 私が住んでいた中川区の尾等橋から日置橋のあたりは、材木商が多かった。住宅地とは違う川べりの風景は、子供たちの天国だ。といっても、素足になってバチャバチャと水にはいったり、魚釣りができるような川ではなかった。
 法被を着て地下足袋を履いたおじさんが、丸太から丸太へピョンピョンと移りわたる格好が楽しかった。男の子が、おじさんの真似をして、太い丸太を選んで乗り渡る格好はスリル満点だ。
 流れの停留した所には、ヘドロや空き缶やゴミのすみかとなった。
 驚いたことに、少し離れた下流のの川面には、土佐衛門がブヨブヨと白い肌を見せることもあった。その都度、野次馬たちで大騒ぎとなった。
 大型台風の襲来と満潮時刻が重なると、丸太が欄干を越え流れ出し路地を占領することもあった。水の引いた後は大変だ。あたり一面、白い薬が撒かれて、目がチカチカしたことを覚えている。
 
 川べりにある材木商の囲いの中は、「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」の丁度良いロケーションとなっていた。
 薄く削った板を乾燥させるために「井の字」に板を積み上げている広場は、大人たちの注意もおかまいなしに遊び場となった。中は、空洞となっていて格好の隠れ家だ。
 木材を削る小屋の中は、もっと、楽しかった。おがくずが山のように盛りあがっていた。高い所から飛び降りると、小さいからだは埋もれてしまう。中で遊んでいると、時間の経つのは早い。外に出ると、すっかり暗い。汗ばんだ体には、おがくずがへばりついていた。頭のてっぺんから足の先まで真っ黒だ。両手で髪を払いながら、家までかけて戻る。
 
 母は、子供たちを見るなり風呂場に直行させた。洗い場にパラパラとおがくずが散らばった。大人たちの注意を守らなかったのは一目瞭然だ
 川べりには、「良い子は、川や工場で遊ばない」と赤いペンキで注意書きがある。規則は破られるためにあったようだ。

 大人たちの楽しめる風景もちゃんとあった。
 夏祭りの夕暮れ、電飾船が通過するたびに、うちわをたたく拍手が沸き起こった。花火大会の時、名古屋港の満天の夜空に咲く大輪の花びらは川面に散った。
 忘れられない夏の風物詩である。
 名古屋デザイン博の時は、港会場と白鳥会場を結ぶ水路ともなった。
 堀川再生の声があがり、浄化が進んだのはこの頃のことである。

 故郷を離れて随分た経つ。
 川には魚が泳ぎ、おしゃれな彫刻のある欄干やモニュメントは人目をひき付ける。川沿いには広場があり植樹もされ木陰もできた。日も暮れると若い男女の戯れの場となった。
 
 今、子供たちの天国はない。
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by violasan | 2005-02-09 10:36 | 徒然